How to be “善き内視鏡医”

内視鏡

 

「さばに」という言葉を耳にすると、美味しいおいしい「サバ煮」の方ではなく、まず真っ先に「小舟でしのぎを削り合う勇壮な光景」の方を思い浮かべてしまう生粋の沖縄県民の皆さん、そしてきっと頭が疑問符で埋め尽くされているだろう県外在住の皆さん、こんにちは。

早いもので、今年も「ハーリー」の季節が近づいてまいりました。例年であれば、今頃は一ヶ月後に迫った本番に向けて練習も追い込みの時期に入る頃でしょうが、既に今年も多くの大会が中止を発表しており、仕方がないと分かってはいても、やはり残念です。

 

来年こそは大手を振って、巧みに船を操る彼ら彼女らの雄姿に海岸沿いから盛大に歓声を上げながら、あの心地よい熱狂の中に浸りたいものですね。

 

 

と言ったところで、思いがけず2年連続で食らってしまった“お預け”に思いを馳せるのもほどほどにしまして。

皆さんは、以前に僕が「内視鏡医としての技術の差を分けるのは、覚悟の違いにほかならない」といったようなお話をさせてもらったことを覚えていらっしゃいますでしょうか。

 

これについては、いまでもまったくその通りだと思っているのですが、とは言え、いきなり「内視鏡を扱う者としての覚悟を身に着けろ」と言われたところで、途方に暮れてしまうのが当たり前のことと思います。

 

つい先日、改めてこれまでの記事を読み返していた折に、その重要な部分について、ちょっと投げっぱなしにしてしまっていた部分があったな、と反省をした次第です。

そこで今日は、「内視鏡に習熟するための秘訣」について、もう少し掘り下げてお話したいと思います。



まず、僕が研修医に内視鏡について指導する際に、最も重要なポイントとして意識しているのは、細かい「技術」や小手先の「テクニック」を教え込むことではなく、内視鏡を操作する「イメージ」を染み込ませることです。

スポーツの世界にしろ芸術の分野にしろ、「理論派」と「感覚派」との対比がしばしば語られますが、「大腸カメラ」に関して言えば、僕は確実に後者側の人間だと言えます。

 

内視鏡の教科書を開いてみると、挿入方法に関して小難しい専門用語で色々と書かれていますが、大腸の形態もある程度まではパターンに分類できるとは言え、人によって千差万別なのは言うまでもありません。

地球上に存在する70億人の中に、まったく同じ顔をした2人の人間が決して存在しないのと同じです。

 

にもかかわらず、「どんなタイプの大腸にも当てはまる唯一無二の挿入方法」などあり得るでしょうか。

僕は、まず間違いなく「ない」と考えています。




そこで、そんな“絶対的な正解”の存在しない状況の中で重要になってくるのが、先に述べた「イメージ」なんです。

そしてそんな僕が研修医に伝えるイメージは、「長いストッキングを手を使わず片足だけで手繰り寄せるように履く」というもの。

 

大抵の場合、この説明をすると引かれてしまうのですが、360度どんな方向にでも伸びる大腸を一切伸ばすことなく、しかも短縮化しつつ挿入するためには、このイメージが最も適当だと確信しています。

もちろん、このような表現は決して教科書に載ってはいませんが、長年にわたり内視鏡を握っている人間なら多くの方が感覚的に理解していることでしょう。

 

 

実は以前、元々仲良くしていた方のお兄さんがたまたま内視鏡医だったことが判明したのですが、その方曰く、お兄さんも「長い靴下を片足だけで手繰り寄せながら履くようなイメージ」だと語っていたそうです。

長い年月を内視鏡と向き合い続けてきた中で体得したイメージでしたが、同じように内視鏡に向き合ってきた同業の方が同じ感覚を身に着けていたことを知り、「やはりこのイメージは間違っていなかったようだ」と、静かに確信を深めたことを印象深く覚えています。

 

 

 

ちなみに、その内視鏡医がそういったイメージを持っているかどうかを見分けることは、実はそんなに難しいことではありません。

 

まず、基本的な内視鏡の持ち方として、左手でグリップを握り、右手でスコープ先端付近を握るのですが、挿入している最中に右手をやたらとこねくり回しているようであれば、残念ながら「良いイメージ」を持っているとは言いがたいでしょう。

僕の経験上、そのようなドクターは小手先での操作に頼ってしまう傾向があり、患者さんには強い苦痛を与えるばかりか、内視鏡自体もすぐに痛ませてしまいがちです。

 

内視鏡が完全に「身体の一部」と化しており、ファイバー先端にまで神経の行き届いているドクターの場合、右手はほんの軽く添えるだけにとどめ、ファイバー先端から最も遠い位置にある左手や足の指先、あるいは体幹のちょっとした動きを、ファイバー先端に直線的に伝えるように操作するイメージを持っているものです。

 

 

ちょっと余談なのですが、学生時代にどっぷりとビリヤードにのめり込んでいた僕は、マイキューを購入し、毎日10時間ほど打ち込んでいたことがあります。

その時にビリヤードの上手な人から教えてもらったコツが、「右手だけで突くのではなく、ヘソの高さを意識して、両足から伝わった全身の力がすべてキュー先端で爆発するようなイメージを持て」というものでした。

 

これは誰かに伝える上で的確な表現なのか分かりませんが、このイメージは、そのまま内視鏡の操作にも通ずるものがあるように思います。

 



閑話休題。

ここまでは、「どのようなイメージを育てるべきか」という自分の中だけで完結するお話でしたが、内視鏡については患者さんの存在抜きには語れない以上、やはり「対話」の重要性について強調しない訳にはいかないでしょう。

 

一口に「対話」と言っても、1人の患者さんに施術する際に対話すべき相手は、実は「1人」だけではなく「2人」います。

もちろん、まずは何より患者さんご自身との対話が大切であることは言うまでもありません。

 

一方、検査中はどうしても画面に集中する必要があるため、得てして内視鏡医は無口になってしまいがちなもの。

ですが、内視鏡操作中の僕はほとんど“自動操縦モード”になっていることもあり、なるべく絶え間なく喋り続けるようにしており、時には15分程度の検査中に、患者さんの人生相談に乗ることもあったりします。


では、どうして僕がしゃべり続けるのか。その答えについては、後述させてください。

 

そして、もう1人の対話すべき相手が誰なのかと言えば、それは「患者さんの大腸」そのものです。

人間の脳には「100~150億」個もの神経細胞が存在していると言われていますが、腸管にも何と「1~2億」個も存在しています。

 

それに対して、心臓には「4~5万」個ほどしかありません。

 

 

 

「脳腸相関」という言葉もありますが、近年は「脳」と「腸」との密接な関係性が科学的に解明されつつあります。

「第2の脳」と表現されることもある腸については、「生物が進化する過程で、腸の一部が変化して脳になった」という説が有力視されており、さらにとても興味深いことには、「腸が脳とは別に感情を持っている」と指摘する説もあるほどです。

 

つまり何を言いたいかと言えば、「患者さんが検査医を信頼できていない場合、腸も全力で内視鏡の侵入を拒むように動いてしまう」ということです。

要するに、患者さんの「脳」が感じている不安や恐怖、緊張といったネガティブな感情が、無意識のうちに「腸」に“防御態勢”を取らせてしまい、結果的に患者さんへの苦痛や負担を増大させてしまう訳です。



一方で脳が、言い換えれば大腸が内視鏡の侵入を許し、あるいは歓迎までしてくれた場合には、まったく苦痛を感じさせることなく、わずか1~2分足らずで大腸終点まで辿り着くことができてしまいます。

そして、検査台に上がる患者さんの不安を何よりも和らげることができるのは、血の通わない「鎮静剤」ではなく血の通った「対話」なのだと、僕は信じています。

 

だから、僕はなるべく苦痛のない内視鏡検査を実現するべく、患者さん「ご本人」だけでなく「大腸さん」とも常に対話し続けるよう意識しているのです。




そのほか、これは内視鏡だけに限った話ではないかもしれませんが、やはり「失敗した経験を忘れない」ことも非常に重要だと言えるでしょう。

人は、どうしても成功体験の方を優先的に記憶しがちなものですが、僕は内視鏡においても一般診療においても、「上手くいかなかった」ケースをこそ絶対に忘れないように心がけています。


初めて内視鏡を握ってから今日に至るまでに、僕は大腸カメラ検査をおよそ2万件ほどこなしてきました。

そのおかげで現在では98%くらいのケースにおいては“自動操縦モード”で検査を完遂できるようになりましたが、ちょっとでも「上手くいかないな」と感じた瞬間に“マニュアル操作モード”に切り替え、これまで積み重ねてきた経験の中から最善と思われる打開策を瞬時に導き出す作業をしています。

 

いまどきのハイテク機器はまったく使いこなせていない僕ですが、この処理スピードに関してだけは、どんなスーパーコンピューターにだって引けを取らない自負があります。

「失敗を恐れるな。失敗しないことが目標なら何もしなければ良い。背負った十字架の分だけ医師として成長できるのだから」とは、とある指導医の言ですが、もちろん失敗などないに越したことはないものの、この言葉は医療における“真理”の一端を捉えていると言えるかもしれません。



同様に、どんな単純な作業であったとしても、「その都度都度で、反省をして傾向と対策を練る」という習慣を意識的に実践することも大事でしょう。

どんなに慣れ親しんだ行為であったとしても、改善の余地やさらに上を目指すためのヒントというものは、常にどこかに隠れているものです。

 

そう言った小さな“気づき”を、日々の診療や検査の中で見落とさないように心がけ、見つけた“気づき”を自分自身に還元していくことこそが、いつまでも医師として成長を続けるための秘訣なのではないでしょうか。




……なんて、色々と語らせていただいちゃいましたが、やはり内視鏡のこととなると、ついつい熱くなってしまいますね(笑)

 

まだまだ色々とお話したいことはあるのですが、ふと記事の文字数を確認してみたところ、いつの間にか「過去最長」を更新しそうになっていることに気が付いてしまいましたので、今回はこの辺りで失礼したいと思います。

この記事を通じて、“善き内視鏡医”としての「覚悟」とは何か、あるいは「その覚悟を身に付けるにはどうすればよいのか」ということについて、少しでも理解を深めていただけたなら幸いです。

 

──なんだかんだで結局、最後の最後で最長を更新してしまった山城でした(笑)

 

山城   







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コメント

  1. 北の国から  より:

    素晴らしい内視鏡医としての心得に共感した次第です.
    私は北海道で働く田舎の医師ですが,山城先生のお人柄に感動し,その背中を見て学ばせて頂いたものです.
    大腸内視鏡も行いますが,胆膵の側視鏡を専門にしており,内視鏡の横にしかカメラがついていない,横向きの視野の内視鏡を専門に握る医師ですが,山城先生と全く同じ感覚で,内視鏡や処置具を扱っております.
    山城先生の医療へ対する熱い気持ちが患者様に伝わり,患者様も安心されると思います.
    いよいよ,クリニックも完成が近づき,患者様にも周知されてきていると思います.
    クリニックのご発展を遠くからもお祈り申し上げます!

    • サンパーク胃腸内科クリニック より:

      コメントありがとうございます!

      やはり熟達した技術を身に付けられた内視鏡医の先生方は、皆さん同じような感覚や境地に達するのかもしれませんね。院長も、その感覚があるのとないのとでは、施術の精度がまったく変わってくると仰っていました。

      クリニックの開院が差し迫りつつあり、開院に向けた準備もいよいよ大詰めの段階に突入した感がありますが、9月に最高のスタートを切ることができるよう、準備室一同、一丸となってこのまま全力で駆け抜けていきたいと思います。

      先日に続き、温かい激励と応援のお言葉をありがとうございました!!

      開院準備室   

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