きみは、ぼくの「最後」の友達

ヤマシロ物語

 

どうも、こんにちは。

コロナだの何だのと、窮屈で世知辛い空気が蔓延している中でも、世間の至るところにはっきりと色づき始めた「クリスマス」の訪れを目にするたびに、やっぱり自分の中に眠る幼心がくすぐられ、どうにも何だか気分がちょっと高揚してしまう山城です。

 

ちなみにさっきまで、そんな子供っぽい高揚感の赴くまま、大人の財力をもって買ってしまったローストチキンとシャンパンを相棒に、今度はブログに何を書こうかな、なんて頭をひねっていたんですが、ふと以前にとある友人に尋ねられた質問が、さっと脳裏をよぎりまして。

 

 

「医者になって、本当によかったなぁ……!」って思う瞬間って、どんな時?

 

 

その友人からしてみたら何気ない疑問だったのでしょうが、僕にとっては「自分の芯」を見つめ直すいい機会になった経験ですので、今日はそのことについて、ちょっとお話させていただきたいと思います。

 

 

実は最初、この質問をぶつけられた時、ちょっと言葉に詰まってしまったんです。非常にシンプルな問いかけでしたが、意外に自分でも正面から考えたことがなかったものですから。

そうして改めて自分と向き合ってみた時、質問に対する「答え」はすぐに幾つか思い浮かんだのですが、その中でも最も強烈で、そして最も自分の中でしっくりきた「答え」は、「その患者さんの『物語』の登場人物にしてもらえた時」というものでした。

 

 

どういうことかと言いますと、僕の場合、専門が「消化器内科」ということもあって、どうしても悪性疾患に罹られた方を担当することが多く、そうなると「お看取り」までさせていただく機会というのも、やっぱり多くなります。

本当に有難いことに、患者さん本人から「最期は先生に看取ってほしいんだ」と言っていただけることも多いのですが、そう言ってくださる患者さんの多くは快復の見込みもほとんどなく、人生の最期を耐えがたい苦痛と懸命に戦ってらっしゃる方ばかりです。

 

そんな患者さんに対して僕ができることと言えば、ありとあらゆる手段を用いてでも完全に痛みを取り除くことを約束し、患者さん自身とそのご家族が、心穏やかに「グソー(あの世)」に旅立つ瞬間と向き合える時間を、少しでも長く作り出してあげることくらいしかありません。

ただ、そうやって患者さんと真摯に向き合って約束を交わし、「先生、よろしく頼むわ」と患者さんに託された想いを受け止め、そしてちゃんと皆さんが笑顔で最期の瞬間を迎えられた時。

 

「あぁ、医者になってよかったなぁ」と、酷く救われた想いになります。




 

よく「人生では3回だけ主役になることができる。生まれた時と結婚した時、そして死ぬ時だ」なんていう風に言うことがありますが、「最期」っていうのは、その方の人生にとって本当に大きな「ステージ」だと、僕は思うんです。

80年も90年も長い時間をかけて少しずつ丁寧に紡ぎあげてきた、かけがえのない物語における「最後の大舞台」

 

 

その中で僕が関わることができるのなんて、せいぜいが数ヶ月から数年くらい、場合によってはもっと短いこともざらです。

だから、その患者さんがどんな人生を歩んできたのかなんてことは、本当は分からないはずなんですけど、お見舞いに来られるご家族やご友人、お仲間の方々なんかを見ていると、「あ、きっとこの人はとっても素晴らしい生き方をしてきたんだろうなぁ」というのは、やっぱり伝わってきます。

 

そんな沢山の方々の想いで彩られた「集大成」とも言えるステージにどう幕を引くか、その結末が少しでも素敵なものになるよう “演出” できるのは、医療に携わるものの大きな責務であり、ある意味では特権とも言えるのかもしれません。



 

そうやって、大舞台の幕引きに向かって一緒に手を取り合って歩んできた患者さんから、「先生、ありがとな。君は、僕の人生での一番最後の友達だよ」と言っていただけた時、こんなに嬉しいことはなかったです。

最後に患者さんのお友達になって、一人の友達として最期のステージを、その人が望む通りに “演出” するお手伝いができたならば──。

 

内科医としてこんなに素晴らしいことはないんじゃないかな、と今でも心からそう思っています。

 

山城   



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